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ジャン・ルイ・シャーヴ

ジャン・ルイ・シャーヴのお話を 輸入もとの資料よりご紹介します^^
■エルミタージュの魔術師、ジェラール・シャーヴ■

エルミタージュの魔術師と彼を呼ぶ。しかし、ローヌの北部、モーヴ/Mauvesに住うヴィニュロンであるジェラール・シャーヴは常に冷静だ。この家族規模のドメーヌ(ドメーヌ ジャン=ルイ・シャーヴ)をジェラールが60年代に引き継いだ時分、既に彼の名声は確立されていた。ジェラール・シャーヴは息子のジャン=ルイと共に仕事をすることに“至福”を見出している。そして“比類ない富”を享受している。なぜなら、“科学”というものは、“経験”に代わることは不可能であるからだ。ロマンス・グレーの髪、生き生きとしていて茶目っ気たっぷりの瞳を持つジェラールは66歳、今度は、ジェラールが1993年にドメーヌのワイン造りに携わるようになった息子のジャン=ルイに彼の知識を伝えていく番だ。“ジャン=ルイは私(ジェラール)と全く同じフィロゾフィーを持っています。”息子に代を譲って5年になる“若い”退職者は、“これは大きなチャンスなのです”と語る。ワインを造るメティエ(仕事)は、存在すること以外に解決する術はないと続けた。

ワインは市場の好みによって造るものではありません。“私”の味なのです・・・

シャーヴ父子のデュオは毎年、(文学に例えるなら)選集に相応しい秀抜な一節を書いている。花崗岩、黄土、粘土石灰、珪石など原産地統制呼称のエルミタージュが持ち得るあらゆる種類の土壌の補完性の上にたってワイン造りが行われている。ブドウはそれぞれのクリマ毎に収穫が行われ、ワインの醸造も、アッサンブラージュする前の熟成(クリマ毎に異なるが12~24ヶ月)も別々だ。シャーヴはワイン造りに関わる全ての行程のなかでも、とりわけアッサンブラージュを好む。“音楽を演奏する時のことを考えてみましょう。決して一つや二つのキーで演奏するわけではないでしょう。アッサンブラージュは私の情熱を掻き立てます。私にとっては《創造》に値することです。”とアッサンブラージュに就いてジェラールは語る。シャーヴの理想は、決して固すぎることのないタンニンを伴う樽の印象がかろうじて感じ取れるワインで、そのタンニンは熟成において素晴らしい資質を持たなくてはならない。すなわち、不誠実であったり、まやかしのタンニンは論外で、率直なタンニンが望ましいと考えている。ジェラール・シャーヴはワインが技術によって余りにも操作されていることを、殊のほか嘆き悲しみ、他の地域や他国のワインであるかの如く姿が変わった「エルミタージュ」の未来を懸念している。必要以上に“抽出された”ワインを味わってみても、果たしてそのワインが素晴らしい熟成に到達するかどうか疑わしい。そのようなワインはフィネスやバランスに欠け、最後にはお釈迦になってしまう。“ワインを造る鍵は何よりもまず、市場の好みに合わせるのではなく、あくまでも“自身の”信ずる味わいに忠実でなけれななりません。”そして、これは個人レヴェルのヴィニュロンに許された特権だと考えている。

私が情熱を傾けるもの、それは料理です・・・

ジェラール・シャーヴはハンティング、或いは、魚釣りを趣味とする。料理、良質のワイン、そして仲間と過ごす時間をとりわけ好み、毎年6月には数人の仲間と共にカナダに出かけ、釣りに興ずる。旅行鞄のなかにはもちろんワイン、食事のメニューと言えばハンティングで得た獲物に始まり、世界でも指折りのアガペー(親しい者同士の宴会。ただし、レヴェルは並ではない)で締めくくられる。なぜなら、ジェラール・シャーヴはワインの次に、料理に情熱を傾けているからだ。オーヴンの前に立ち、肉や魚、それに、ジビエを家族や仲間たちのために調理する。彼はパティスリー(製菓)を除いて料理全般を難なくこなす(製菓は余りにも厳密過ぎるとのこと)。故人であるが、友人であった偉大な料理人、アラン・シャペルが“料理、それは、ルセットを遥かに凌ぐものだ・・・”と言ったように、ワインにも同じことが言える。

2012年11月16日 11:03