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土曜日はワイン会なので 造り手のご紹介

土曜日の ワイン会にご提案するワインの造り手のご紹介です。輸入元からの 資料を抜粋します。
「ドメーヌ・ラモネ」 
1920年代前半、ピエール・ラモネ氏によって設立されたドメーヌ。
ピエール氏が最初に購入したのは1.5haのシャサーニュ1級レ・リュショット。
現在では誰もが認めるトップ・ドメーヌも草創期の原点はここから始まった。ドメーヌ設立当時の1920年代から元詰を開始、その直後にアメリカ市場に紹介されたことが、世界最高の白ワイン生産者の1人として今日の名声を獲得するきっ
かけとなった。
初代ピエール氏は1994年に他界するまでカーヴに立ち続けた伝説の人物で、そのワイン造りの精神は2代目アンドレ氏、3代目ノエル氏にもそのまま引き継がれている。
醸造自体は意外にもシンプル。
このドメーヌの名声を支えてきたのは、紛れもなく畑での細やかな作業によって産み出される葡萄の質の高さに尽きる。
葡萄樹の生体バランスを失い、樹の寿命を早めるとして夏の摘房を避け、春先の摘芽、摘穂を5?8芽だけ残すように厳しく行なう。
雹や霜の被害にあって収量が激減しても「その時は仕方ない」と考える。
収量よりも、品質を最優先としている証である。
このドメーヌでは、ブルゴーニュにありがちな「お家騒動」を避け、また、婚姻や相続などによって畑が分割されてゆくのを防ぐために、ブルゴーニュではいち早く親族で会社組織にした。
これにより、後世努力を怠ることがない限り、ドメーヌの名声は約束されるだろう。


世界の三ッ星レストランが、喉から手が出るほど欲しいと言われるドメーヌ・ラモネのワイン。
世界中のワインラヴァーが探し求め、入手困難な造り手としても知られていますが、意外にもワインアドヴォケイト誌(パーカーポイント)の評価は高くありません。特に2000年以降のポイントは付けられていません。
これには、ある理由があります。ドメーヌ・ラモネの3代目の当主ノエル氏は、ブルゴーニュの頑固なヴィニュロン(ワイン醸造家)の最後の一人と言われており、なんとロバート・パーカー氏がドメーヌを訪れた際口論となり、彼を追い出した上に、パーカー氏の弟子も立ち入り禁止にしたそうです。
近年のワインビジネスにおいて、ジャーナリズムとの協調性が常識となりつつありますが、そんな中、自分の信念を曲げず、ジャーナリズムの批評を甘受しない彼の姿勢には脱帽です。この信念を曲げない真っ直ぐなワイン造りこそが、ドメーヌ・ラモネの人気の秘訣なのでしょう。


2015年05月20日 11:49